広島県東部の中心都市・福山市から瀬戸内海に突き出た半島の先端に、古代から瀬戸内海水運の重要な港だった鞆の浦(とものうら)があります。江戸時代から徐々に水運の拠点としての役割を終えたため、江戸時代の港町の趣がそのままのこされています。
宮崎駿が「崖の上のポニョ」の構想を練った地として全国的に有名になり、映像作品のロケも増えています。近隣の尾道と並んで、瀬戸内随一の昔の街並みを体験できるスポットです。

ボンネットバスが港によく似合う
鞆の浦が古代から瀬戸内海の水運の重要な拠点になったのは、潮の干満が大きな要因です。瀬戸内海のほぼ中央に位置するため、満潮時には東西からの潮の流れが鞆の浦沖でぶつかり、干潮時は逆に鞆の浦沖から東西に潮がひいていったのです。
中世までは航海技術が未発達で、海岸沿いの地形を目印に潮の流れに乗って進んでいました。そのため鞆の浦には潮の流れが変わるのを待つために多くの船が寄港していたのです。
戦国時代には毛利氏の重要な港湾となります。信長により京都から追放された室町幕府最後の将軍・足利義昭が毛利氏を頼り、鞆の浦で6年間反抗の機会をうかがっていたこともありました。
江戸時代になると、尾道が備後国の中心港湾として成長します。尾道は京都と九州を結ぶ西国街道が通り、石見銀山から運ばれた銀の積出港にもなっていきました。いわば陸路と水路の接点として繁栄していきます。
鞆の浦は重要な陸路からは離れていました。それよりまして大きかったのは航海技術の発達です。潮が変わるのを待たずとも航行できるようになり、潮待ち港としての役割が不要になっていったのです。
昔の営みの痕跡がそのまま残されているかは、新しい施設に更新せずにそのまま細々と使い続けてきているかが大きく影響します。鞆の浦も中山道の妻籠・馬籠宿と同じ環境です。全く放置されれば朽ちていきますが、使い続けられることで人の手でメンテナンスされることになり、往時の姿がそのままのこるのです。

常夜燈と雁木
1934(昭和9)年、九州の雲仙や霧島と共に日本の国立公園第一号の「瀬戸内海国立公園」に指定されています。2017年には港と街並が重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されました。重伝建指定エリアはほぼどこでもタイムスリップしたような昔の街並みが残っています。
中でも江戸時代の港の面影が色濃く残っていることが鞆の浦の最大の魅力です。港の中心にあり鞆の浦のランドマークにもなっている常夜燈は幕末の建造で、高さ5mある巨大な燈篭です。港に突き出るように石垣で固められた土台の上に末広がりのデザインで立つ姿はとても優雅です。常夜燈の周りの岸壁がすべて石造りであることも、江戸時代であることを感じさせます。
潮の干満で水面の高さが変わるのに応じて荷の積み下ろしがしやすいよう、岸壁が階段状になった雁木(がんぎ)も江戸時代の港の典型例です。確かに常夜灯と同じく、ほとんど目にすることはなくなりました。
雁木に座って海を眺めながら、弁当を食べたりコーヒーを飲んだりすると、まさに来てよかったと思えます。潮の香りと風の音も極上です。

港にある安国寺(あんこくじ)は足利尊氏が南北朝動乱の使者を弔うために全国に造った寺です。重文の釈迦堂は屋根のラインが美しい禅宗様の建築です。鞆の浦が繁栄していた室町時代の姿を今に伝えています。本尊の鎌倉時代の阿弥陀三尊も重文です。巨大な光背の意匠が目を引きます。鞆の浦の船乗りや商人による潤沢な寄進があったことが想像できます。

港の全景
瀬戸内の温かく穏やかな風景は、いつ体験しても心を落ち着かせます。日本を代表する原風景です。
こんなところがあります。
ここにしかない「美」があります。
鞆の浦
【福山観光コンベンション協会】http://www.fukuyama-kanko.com/travel/tourist/list.php?aid=6
おすすめ交通機関:
JR福山駅まで、東海道・山陽新幹線で東京駅から3時間30分、新大阪駅から1時間
JR福山駅からトモテツバス「鞆の浦」バス停下車
JR福山駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
JR福山駅南口 5番バスのりば→トモテツバス「鞆の浦/鞆港」行→「鞆の浦」バス停
※鉄道やバスは本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。
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