聖林寺 ~指先が美しい十一面観音にいつでもお会いできる

山門の扁額の字体が優美、公式サイトのタイトル表示にも採用

 

 

聖林寺(しょうりんじ)は、美仏人気ではトップクラスの国宝・十一面観音がいらっしゃることで知られる。奈良盆地の東南端の山の中腹にある寺からは、日本という国の原点であるヤマト王権の発祥の地となった三輪山を望むことができる。奈良の中心部からはやや距離があることもあり、訪れる人は多くない。静かに美仏にお会いできる美しい寺である。

 

 

 

コンパクトな境内には緑があふれる

 

 

聖林寺は元来、寺の南方の山あいにあって明治に神仏分離で現・談山(たんざん)神社になった旧・妙楽寺の支院の一つだった。明治の神仏分離の際には妙楽寺の支院の中で唯一寺院として存続した。その背景には大和国の一宮(最高格の神社)である大神(おおみわ)神社の実権を握っていた神宮寺である平等寺との関係がある。江戸の半ばに平等寺の長老が聖林寺に隠棲して以来関係が深まり、いつしか妙楽寺が属した天台宗から平等寺の真言宗に変わったというくらいだ。

 

十一面観音は元々聖林寺にあった仏像ではなく、大神神社のもう一つの神宮寺だった大御輪寺(だいごりんじ or おおみわでら)から明治に改元される直前に移設されている。幕末にはすでに廃仏毀釈の空気が漂い始めていたのだろうか、大御輪寺の僧侶は大切な仏様を、さほど離れておらず平等寺を通じて交流も深い聖林寺に避難させたと考えることができる。また聖林寺は幕末には学才に優れた僧を多く輩出する“学問寺”としても著名だった。学問寺としての名声も、安全に仏様を守り続けることができると関係者に感じせたのだろう。

 

 

 

寺から遠景に見える三輪山は、大神神社が鎮座する十一面観音の故郷

 

 

平等寺や大御輪寺は廃仏毀釈で破壊されており、多くの仏像も姿を消したであろう。その意味で十一面観音は強運の持ち主であり、明治にフェノロサの目に留まって秘仏の禁を解かれたことも、さらなる強運である。

 

フェノロサは十一面観音を見て「この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、この仏様一体に到底及ぶものでない」と絶賛したという。その後も和辻哲郎、白洲正子、現代ではみうらじゅんと著名な文化人を魅了し続けている。

 

【公式サイトの画像】 十一面観音とその指先

 

 

天平時代の作で、高さは2mほどあるがさほど大きさを感じさせない。とても柔和な表情をしているからだろう。中の切れ長の目は、見る者を凝視すると言うより、世の中全体を見据えているような安定感がある。体つきは均整がとれており、さながら現代で言うスーパーモデルのようだ。

 

指先のポーズもきわめて美しい。指先は一般的に彫刻や絵画において表現が難しいとされるが、この観音様の指先は女性のような肌の質感を見せており、表現技術とともに保存状態のよさには驚愕する。

 

十一面観音は収蔵庫にいらっしゃり、常時拝観できる。この収蔵庫だが1960年の建築で地震対策が充分でないため、寺は建て替えを検討している。一方資金繰りも大変なようで、寺では広く寄進を呼び掛けている。我こそはとお感じの方は、ぜひ検討されたい。

 

【公式サイト】 新収蔵庫(免震機能付き)建立のためのご寄進お願い

 

 

 

 

南天の真っ赤な果実が初冬の境内を彩る

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

十一面観音を愛した白洲正子による巡礼紀行、聖林寺はトップで紹介

 

 

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