名護屋城博物館・佐賀 ~朝鮮半島との交流の解説は興味深い


道路の右が名護屋城跡、左が博物館

名護屋城博物館は、豊臣秀吉による朝鮮への出兵「文禄・慶弔の役」の前線基地となった名護屋城の遺跡を保存するとともに、両国の交流史を伝える展示施設です。20万人もの人が集まった盛時の城や町の様子とともに、戦争によって深い傷跡を両国関係に残した事実を美化することなく伝えています。秀吉による歴史の光と影を知るためには、名護屋城跡からのパノラマビューと共に、必見のスポットです。

館の常設展示は、日本と朝鮮半島の交流を古代から学習できるようになっています。日本の奈良時代の頃の新羅の金銅如来立像は、お顔や衣の表現がはっきりとして大胆です。日本にはない中国様式を感じさせます。飛鳥時代の白村江の戦の後、冷え込んでいた新羅との関係が少しずつ回復していったため、この仏像が日本にあるのだと考えられます。


日本軍の軍船

文禄・慶弔の役の展示には、大きなスペースを割いています。中心に設置された軍船の模型や、秀吉の手紙、名護屋城跡からの瓦などの出土品が、当時の様子をリアルに伝えています。ここまではどこの博物館でも珍しくない展示ですが、この館は戦争の事実関係を冷静に評しているところが特徴的です。


パネル解説の要旨:秀吉は侵略戦争を引き起こした


パネル解説の要旨:日本軍は略奪と強制連行を行い、日本各地で徴用した兵も苦しめた

文禄・慶弔の役がどんな影響をもたらしたのか、日韓両国語でパネル解説されています。「侵略戦争」という表現をしていることにまず驚かされます。日本国内の博物館や資料館における過去の戦争に関する展示で、このような表現はほとんどお目にかかれません。

日本軍による暴行・略奪・強制連行が行われた。朝鮮の人々に多大な傷を残した。大義なき戦に駆り出された日本兵にも膨大な数の犠牲者を出し、多大な苦しみを与えた。このような解説が冷静に行われています。

この頃に朝鮮半島から日本に連れて来られた磁器職人が伝えた技術により、江戸時代に伊万里焼が花開いたことはよく知られています。日本に連れて来られた理由は、強制連行に加えて、戦火と混乱を避けるための亡命もあったようです。朝鮮出兵していた伊万里焼のおひざ元の大名・鍋島氏が、生活を保障することで亡命の勧誘に積極的だったと考えられています。

いずれにしろ朝鮮の人々にとっては亡国の思いで日本にやって来たことは間違いありません。その事実の上で、江戸時代に世界を席巻した輸出品・伊万里焼があるのです。

戦争に代表されるもめごととその影響の主張は、両者の目線を平等に論ずることで客観的になります。どちらが、何が正しいと思うかは、その主張を聞いた人の判断です。絶対的な良し悪しはありません。冷静に両論を併記するこの館の姿勢に好感が持てます。

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。

佐賀県立名護屋城博物館
http://saga-museum.jp/nagoya/

原則休館日:月曜日、年末年始
※展示作品は、展示期間が限られているものがあります。